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セミナーコンテストグランプリ2020 特別対談


セミナーコンテストグランプリ2020 特別対談
宮北 結僖 × 立石 剛

セミナー講師として成功するための、
最大のキーワードとは」

 

「セミナー」というコンテンツで、危機を乗り切る

立石 日本パーソナルブランド協会代表理事立石剛です。今年のセミコングランプリ特別対談には、毎年審査員として起こしいただいている、女優であり、話し方のプロ、宮北結僖さんをお迎えしました。まずは、宮北さんの仕事について教えてください。

 

宮北 私は日本心に響く話し方協会で、「言響・心に響く話し方」という話し方の講座を開催したり、自分の強みを生かして、自分の言葉で話せるようになるセミナー、企業講演、研修などをしています。

 

立石 講師になろうと思ったきっかけを教えてください。

 

宮北 2つあります。「言響」をやり出した13年前は、一般の人達が人前で話す機会がグンと増えたときです。例えば、プレゼンをする機会が増えた、会社の朝礼などで話す機会、またセミナー講師が増えた時期とも重なります。その時に、私が22年間していた役者のスキルが、何かお役に立てばと思ったことが一つです。もう一つは、私は役者をやりながらも監督や先輩に気に入られる芝居しかできず、よく監督から「俺の言う通りに動くんじゃなくて、もっと宮北の感じる芝居をしてくれ」と言われていました。私は周りの目が怖くて、自分が感じる表現ができなかったんです。だから、自分の言葉で喋れるようになりたい、まずは自分の心に響く話し方で話せるようになりたいと、自分のために会社を興そうと決めました。

 

立石 初めてされたセミナーや講演会は覚えていらっしゃいますか?

 

宮北 以前、私がダイビングをしていた時に、「クマちゃん」と呼ばれていたインストラクターがいました。クマちゃんは海や魚のことに詳しいんですがそれを話してもイマイチお客さんのノリが良くなかったんです。それで、クマちゃんのオーナーさんに「お金は要らないから、クマちゃんを教育させてくれないか」とお願いしました。その後、クマちゃんがアオリイカの産卵シーンの話をすると、会員さんがそれを聞いて泣いたんです。オーナーさんがとても驚かれて、私も自信につながりました。それが始まりです。それから、自宅で着付けを教えていた生徒さん2人、私の家にケーブルテレビの営業に来た男性、その3人の生徒さんに、話し方について教えました。とても懐かしいですね。

 

立石 起業1年目は、順調にいきましたか?

 

宮北 1年目は4回ほど講座をしましたが、生徒が集まらなくて。そこで新規の生徒を集めようと、公民館3000円の体験セミナーをやりました。自分でチラシを作って、自分で配って、その時は40人ほど集まりました。その中から6、7人ほど生徒になってくれました。

それ以外にも、人材派遣会社に登録をして体験セミナーをやりました。1回目は6人が来てくれて、次の月には15人ほどが来てくれたんです。マックス20人来てくれたこともありました。

ですが、「言響」を立ち上げてからも、すぐに軌道に乗ったわけではなかったので、3年間はブライダルの司会も続けていました。3年目に出版が立て続けに決まって、ようやく忙しくなってきた感じです。平日は「言響」の講座をし、土日はブライダルの仕事。ブライダルは長年やっていたので、土日だけで40万ぐらい稼げていたんです。でも本も出すし、これからは「言響」に力を注ごうと、4年目にブライダルの司会を辞め、「言響」一本にしました。

実は、そこからが大変でした。本の執筆に必死になって、「言響」の生徒の新規獲得することを忘れていたんです。続けて2冊目の本の原稿も書いていたので、当然売り上げが落ちるわけです。その後、本の印税は入ってきましたが、あっという間になくなり、ふと気づいたら、お財布の中が63円に。クレジットカード3枚を使い回しながら、生活費をつないでいました。

 

立石 そのお金の苦労というのは何年ぐらい続いたんですか?

 

宮北 2年ほどです。これも恥ずかしい話ですが、どうしようもなくなり、初めて借り入れを経験しました。会社にすると、借入しやすいので、それで会社にしたんです。その時に、自分が働かなくてもお金が入ってくる方法はないかと考え、DVDを作って販売するために借り入れをしました。すでにセミナーで4回コース、セミナーで6回コースを細々ながらやっていたので、これを録画すれば、元手がかからない。4回コースと、6回コースまとめてだから、まとまった金額になるわけです。それを売っていました。本当にお金がないときこそ、知恵が出ますね。

それと、出版すると知らない人に自分のことを知ってもらえますよね。本を出すタイミングと物販が重なったこともあって、「言響」を全国展開することができました。

 

立石 右肩上がりにいく人もいますけど、どこかで資金繰りに困って、その時に新しいことにチャレンジして、道が開けた講師というのは結構いらっしゃいますね。

 

宮北 メルマガもずっと書いていましたから、メルマガ読者に何に困っているかアンケートを取ったんです。そうしたら、自己紹介に困っているとか、人を感動させる話し方が知りたいというリクエストが来て。そこで「たった1分で自己紹介が出来る方法」や、「たった3分で相手を感動で泣かせる話し方」などが生まれ、それも単発でDVD化しました。これはかなり売れましたね。

 

立石 物販で乗り越えて、その後は順調でしたか?

 

宮北 数年はうまくいきました。が、第二の壁が来て、ぐっと落ち込みました。当時は自分でマネジメントを全部やっていたんですが、自分の中でマネジメントし切れなくなった時期がありました。売り上げも落ちた時期でもあったので、離れていく人もいました。人間関係がいろんな意味でこじれてしまって、そのストレスから耳からウイルスが入って、左顔面が全く動かなくなったんです。2日後に200人の前で話す講演会が決まっていて、医者からはすぐ入院だと言われましたが、私は講演することを選びました。参加された方はみなさんビックリしますよね。「今日は顔は半分しか動かないけど、その分、思いは2倍でお届けしますのでお許しください」と伝えて話しました。

 

奇跡的に顔は元に戻りましたが、その時に学んだのが、まず自分が健康でなければいけないということです。実は左顔面が動かなかった時に、自分の心(魂)を私は「ゲンちゃん」と呼んでいるのですが、そのゲンちゃんと会話をしたことがありました。「ゲンちゃん、自分は何でこんな顔になっちゃったのかな?」と聞いた時に、ゲンちゃんが、「ごめんな~」と誰かに謝っていました。私がゲンちゃん「誰に謝っているの?」と聞くと、「あほ!お前の身体にや!!」とゲンちゃんに怒られたんです。「お前はな、今回、迷惑をかけた人に、『すみません、すみません』っていっぱい頭を下げて謝ったな。顔を元に戻してくれた先生や、お世話になった人たちに『ありがとうございます、ありがとうございます』と礼を言ったな。でもお前、一度たりとも自分の身体に『ありがとう』そして、『すみません』って言ったか? どあほ!」って。そのときに、私はその言葉にボロボロ泣いて、自分の身体が商品だということ、商品である自分の身体を大事にしようと決めたんです。それからは、きちんと休みを取って、いつも自分をごきげんにしています。

 

もう一つ、自分にアルバイトをする許可を出しました。経営者がアルバイトすることはみっともないと考えていたので、その言い訳を作りました。アルバイトは2つ。一つは以前もやっていたブライダルの司会者。もう一つは、銀座のママ専門の美容室での着付師です。昼間は、一生懸命「言響」に取り組み、夜は銀座のママを相手に働きました。銀座のママが出勤する前にママの専門の美容室があります。そこで着付けをしていました。銀座のママの出勤前ってピリピリしているので、髪のセットがうまくいっていないと美容部員を相手に怒鳴るんです。そこで私は着付師をしながら、美容部員の女性に給湯室でママに対しての話し方や対処の方法をアドバイスしました。すると、それがオーナーの目に留まって、「宮北さんは一体何者」と言われ、そこから「美容部員を指導してくれ」と頼まれて、それが仕事につながりました。

そうこうしているうちに、立石さんから「セミコンの出場者にセミナーをしてほしい」と声がかかったんです。

講師は、自分がしっかりやろうと決意した時に、神様がご褒美を与えてくれるんだなと。今思い出しただけでも涙が出ます。おかげさまでセミコンでも基盤ができて、大阪でも人脈をいただけて、講演会等もやらせていただき、そこから本当に安定しました。「翌月どうしよう」というという不安は無くなりましたね。

 

真剣に取り組んでいる姿を見せることこそ、講師のあるべき姿

立石 改めてご自身の過去を振り返って、講師として成功してくために大事なことは何だと思われますか?

 

宮北 まず情熱です。法人を立ち上げたいいけど、借入が増え、お金はどんどん減るわけです。税理士からは、「たたむというのも手段ですよ」と言われました。でも、私はたたむなんて頭になく、私は絶対このコンテンツで人を救う、そのためだったらなんだってやる、そういう情熱と覚悟を持っていました。そして、私は「言響」を通して自分のことを好きになりたかった。ここで会社をたたんしまえば、また自分のことが嫌いになるわけでしょう?  それは絶対嫌だったんです。

 

もう一つは、自分が起業して何を強みにすればいいか迷った時に、自分のやりたいことでセミナーを作るのもいいけれど、自分の克服したいことをコンテンツにするのもエネルギーが湧くと思いますね。私は周りの目を気にせず、自分の言葉で話せるようになりたかった。これが克服したいことだから、それを事業にしたんです。これは間違いなく私のエネルギーになっています。

あと成功するためには、やはり人が大切。マーケティング的に言えば、人脈はただ広げればいいとか、そういうことも確かにあるかもしれません。だけど私は、人でも会社でも、共感ポイント、価値観、考え方が合う人、会社と一緒に何かをやることが、成功する秘訣じゃないかと思います。

 

私がよく生徒に言うのは、誰よりも学んでいるのが講師だということ。講師は教えたこと以上に学ばされていますよね。私自身、生徒が話したことに何度もメモをとったことか。常に講師は成長できるし、終わりがないことも面白いですね。答えがないし、終わりがない。

もちろん、答えがないことに不安はあるけれど、答えがないからこそ、時代に合わせて、その人に合わせて、さらにベストな答えを自分で見つけていくことが、とても面白いですね。セミナー講師をやっていて、辞められないなって思うのは、目の前で人が変わっていく瞬間。例えば半年前とは考えられないくらい変わるわけです。それはご本人も実感できる。それを一緒に体感できた時に、何よりも喜びを感じます。

 

だからこそ、自分が講師をする時には、生徒と一緒に喜び、悲しみ、一緒に高め合える存在であると思って接していただきたいです。私も2019年の夏に、シンガポールのセミコンに出場させていただきました。周りにしてみれば、「宮北先生は全国大会のコメンテーターをやっているのに、入賞しなくて恥ずかしくないの?」と思う人はいるかもしれない。でも私にとっては、それはむしろどっちでも良くて。 大会前にシンガポールに入ってからも、ホテルからどこにも出かけずに、ずっと10分セミナーの練習をしていました。その真剣に取り組んでいる姿を見せた方が、私は講師の魅力が伝わるんじゃないかと思ったんです。シンガポールに何人か見に来てくれた生徒さんが、セミナー本番で「宮北先生も、あんな風に緊張して震えるんだ」と、私の姿を見て勇気が湧いたそうです。それって良くないですか?私だって人間だし、緊張するし、もちろん震えるよ!というところを見てもらえれば、自分たちもできるかもしれないと思ってもらえるかもしれない。それが生徒さんに勇気と力を与えることになるんじゃないかと。それが、「自分が発している言葉とともに生きる」ということであって、講師としてのあるべき姿ではないでしょうか。

 

立石 シンガポールセミコンでは、ぼくも宮北さんから勇気をいただきました。ありがとうございました。

※対談は2019年12月に行なわれました。

 

プロフィール


宮北 結僖(みやきた
・ゆき)
(株)心に響く話し方 代表取締役
(一社)日本心に響く話し方協会 代表理事 
西田敏行・緒形直人率いる劇団青年座を経てTV・舞台等で活躍。22年の俳優実績を生かし、現在「言響(ことひび)スクール・セミナー」を主宰。コミュニケーションに悩む人が多い時代。「スラスラに話す事は上手い話し方ではない。心からの言葉を伝えることが、何より人の心に響く」と自分の言葉で話せる「言響(ことひび)メソッド」を約3万人以上に提唱。「うまく話すな。心込めて話せ」「表現は生き様」を合言葉に全国から生徒が集まる。「話すことで自分らしくいられる」「自分軸が見つかりました」と自分でも気づかない潜在的な意識を引き出す人として定評がある。現在個別レッスン・言響表現塾・言響インストラクター塾をベースに東京・大阪で指導。
【HP】 http://www.genkyo.net/


立石 剛(たていし・つよし)
セミナーコンテストグランプリ主催者
一般社団法人日本パーソナルブランド協会 代表理事、有限会社 ブランドファクトリー 代表取締役。自分ブランド構築の専門家。
2007年より、自分ブランド構築にも役立つという理由から、セミナー講師指導に尽力している。セミナー講師の甲子園「セミナーコンテスト」を主催し、すでに1000名以上の講師が誕生。著書に『[決定版]セミナー講師の教科書』、『セミナー講師の伝える技術』技術(ともに、かんき出版刊)などがある。